映画・テレビ

2020年3月23日 (月)

天空のヒマラヤ部族

久しぶりにまとまった映像を見ました
目を悪くして、1時間以上の番組は見ていない
これも、評判を新聞コラムで見て録画し三度に分けて視聴したもの
途中からの録画だったため、はじまりはヒマラヤを目指す旅からだった
荒涼とした山地を進んでネパール奥ドルポにあるティンギュー村に到着
いったん日本へ戻って、雪中、年末の村をめざすという破天荒な日程に驚く
仮面祭りを筆頭に村でのさまざまな行事を流すという興味深い内容になっていました
番組の中でいくつか気になった点をあげますと

ティンギュー村の人々は厳しい自然に生きているがなかなかおおらか
 女性達が歌う歌が、深みのある旋律で、なんとなく沖縄民謡を思わせるのが不思議だった
進行役が旅の間は淡々と語るが、村に入ると村の日常を絵にして味がある
 この人は絵のために来たのかと思ったが、後で検索すると友寄という秘境紹介で有名なディレクターさんだった
もっと気になったのが進行役に寄り添う長身の年配
 ネパールの知識も深いし、山地を歩いても平然としている、この人は何だろうとずっと気になったが
 冒頭を見ていないので、調査団の陣容もわからない
 検索して、最初にドルポへ入った大谷ディレクターで、登山家としても著名な人だと知る

とってもいい番組でしたが、最後の方、ティンギュー村へ100年以上前単独で入った日本人がいると出る
あの河口慧海の足跡を取材班がたどるんだけど、紹介時間が短くて惜しい
それだけで一本番組がほしいくらい
慧海はネパールの人々にすすけて黒ずんだ印象を持ったが、今回の番組では全く違う
また慧海は道中、追いはぎの難をずいぶん怖れねばならなかったが、今のネパールはそうではなさそう

昔からの生活を保持し続け、外とは交流がほとんどないティギュー村という紹介だったが
ネットで検索すると、テンジン・ヌルブという画家が村から出ていて、日本でも個展が開かれたと知ってびっくり
ヌルブの絵は洗練されていて美しい

2019年1月 1日 (火)

ジャンリュックゴダール「軽蔑」1963

男女の心理がかなり複雑なものだと思い知らされる筋立て

脚本家のポールが妻のカミーユと睦み合っている場面から映画がはじまる
ポールはイタリアの撮影所で、アメリカのプロデューサー、ジェレミーと出会い、脚本書き直しを頼まれる
ジェレミーの屋敷に誘われ、妻をジェレミーと先に送り出す
30分も遅れてタクシーでついたポールにカミーユは不信感を募らせる
戻った夕方から翌朝、2人の仲が悪化し、カミーユは夫に強い軽蔑を感じるようになる

カプリ島にあるジェレミーの別荘に呼ばれた2人
ここでも不仲が深刻化してゆく
ちょうど撮影中の映画「オデュッセイア」について、監督ラングとポールが語るせりふで「軽蔑」の理由が明らかになる
オデュッセイアは妻ペネロペを疑い、誘惑者が近づくにまかせた
妻がなびくことはないと高をくくっていたが、事態の収拾を図るためオデュッセイアは誘惑者を殺さなければならなくなる
同じように、最悪の事態に備えるかのようにポールも拳銃を持ちだしてカプリ島へやってきていた
ポールと決裂したカミーユは島を去ってローマで1人暮らすとジェレミーに車で送らせるのだが
ポールには2人が自動車事故で即死したという知らせが舞い込む

プロデューサーへの弱みか打算のためか、撮影所でカミーユをジェレミーと送り出したことがそもそも破局の始まり
単に妻が他の男になびくはずがないという自負があったのか
いずれにしても、相方を同等のものとみなさないポールがカミーユに軽蔑されるのは当然
ラングという知的存在との出会いがポールをくすぐったのか
ジェレミーという経済世界の象徴への知的世界の対抗心が生まれたのか
きままに生きているカミーユの方がもっと確かに生活に触れていたといえる

それでもゴダールが映画という知的世界へのこだわりを捨てられないためだろう
ラストは裏切り者を罰するという唐突な展開になってしまう
罰せられるのは自分自身のはずなんだけれど

随所でなりひびくテーマ曲が事態の深刻化を告げて興味深い
現在の映画では、こんな一本調子な音楽が流れることもない
筋書きは不足だが、異質な作風が印象に残る