映画・テレビ

2019年1月 1日 (火)

ジャンリュックゴダール「軽蔑」1963

男女の心理がかなり複雑なものだと思い知らされる筋立て

脚本家のポールが妻のカミーユと睦み合っている場面から映画がはじまる
ポールはイタリアの撮影所で、アメリカのプロデューサー、ジェレミーと出会い、脚本書き直しを頼まれる
ジェレミーの屋敷に誘われ、妻をジェレミーと先に送り出す
30分も遅れてタクシーでついたポールにカミーユは不信感を募らせる
戻った夕方から翌朝、2人の仲が悪化し、カミーユは夫に強い軽蔑を感じるようになる

カプリ島にあるジェレミーの別荘に呼ばれた2人
ここでも不仲が深刻化してゆく
ちょうど撮影中の映画「オデュッセイア」について、監督ラングとポールが語るせりふで「軽蔑」の理由が明らかになる
オデュッセイアは妻ペネロペを疑い、誘惑者が近づくにまかせた
妻がなびくことはないと高をくくっていたが、事態の収拾を図るためオデュッセイアは誘惑者を殺さなければならなくなる
同じように、最悪の事態に備えるかのようにポールも拳銃を持ちだしてカプリ島へやってきていた
ポールと決裂したカミーユは島を去ってローマで1人暮らすとジェレミーに車で送らせるのだが
ポールには2人が自動車事故で即死したという知らせが舞い込む

プロデューサーへの弱みか打算のためか、撮影所でカミーユをジェレミーと送り出したことがそもそも破局の始まり
単に妻が他の男になびくはずがないという自負があったのか
いずれにしても、相方を同等のものとみなさないポールがカミーユに軽蔑されるのは当然
ラングという知的存在との出会いがポールをくすぐったのか
ジェレミーという経済世界の象徴への知的世界の対抗心が生まれたのか
きままに生きているカミーユの方がもっと確かに生活に触れていたといえる

それでもゴダールが映画という知的世界へのこだわりを捨てられないためだろう
ラストは裏切り者を罰するという唐突な展開になってしまう
罰せられるのは自分自身のはずなんだけれど

随所でなりひびくテーマ曲が事態の深刻化を告げて興味深い
現在の映画では、こんな一本調子な音楽が流れることもない
筋書きは不足だが、異質な作風が印象に残る